しねま ちゃばたけ

主にカフェinが誰とどこでどんな内容の映画を観てどう思ったかを記録する為の場所。

47本目 『劇場版「空の境界」第三章「痛覚残留」』

まずは、お久しぶりです。きっちりしたフォーマットが、きっちりした更新が嫌すぎて完全に投げてました。あと、単純に映画見る時間が取りにくくなってしまって…。と言うわけでボチボチ再開します。前と違ってもうざっくばらんに書きます。Twitterくらいフランクに。あと、見た映画全部の感想書くの辛いので感想まとめたいなと思ったやつだけにします。死ぬ。死んじゃうから。

 

さて、再開一発目ですが劇場版「空の境界」になります。「なんで痛覚残留?最初から見たんじゃないの?」って疑問はもっともだ。でもね、僕は浅上藤乃が見たかったからこれでいいんだよ。

 

そう、本当に浅上さん見たさで視聴しました。フォロワーのおすすめもあったしね。

 

実のところ、以前にテレビで放映されたときに見ていたんですが、まあその時はここまで型月コンテンツ(と言うかFGO)に入れ込むとは思ってなかったので、話のおおまかな流れくらいしか覚えてなかったんですよね。なので、FGOに藤乃さんが実装された時とか完全に「いたっけこんなキャラ」状態でした。はい。しかもガチャ引いた理由が「ポニテでミニスカでメイドなの!?引くしかないじゃん!」とかそんなん。あんまり過ぎるでしょ…。

 

さて、あらためての視聴なんですがその、初っぱなから本当に辛い。展開はある程度覚えていたし、なんならそう言うキャラだって理解もしていた。けど辛いもんは辛いんだよ…。つられてお腹が痛くなる。本当に、藤乃が何か悪いことしたんでしょうか…?いや、これからするんだけど。

 

さて、僕はどちらかと言うとキャラクターに感情移入しやすいタイプなので、思い出の中のやり取りとかにとても弱いんですよね。やや前後してしまうんですけど、コクトー君に泣いてもいいかたずねるシーンは、本当に二周目とかで見ると涙ぐんでしまいますね…。思い出その物に関しては言及は控えさせてもらいます。誰にだって聖域はあると思いますし。是非、ご自分の目で。

 

その後の復讐を目的とした殺人、文字通りふじのん本人も目を覆うような凄惨な殺人。繰り返すうちに殺戮へと走るわけですが、どこでどう、決定的にそうなったのかがイマイチ分からなかったんですよね…。殺人を繰り返す内に、繰り返すことで得た生の実感。その味わいに依存してしまったってところなんですかね?

 

なるほど、殺しを楽しむようになるわけです。式との橋での決闘、本当に終始楽しそうですよね。それに聞きましたあなた?「私の方が…、強い…!」ですよ、「私の方が…、強い…!」。もう完全に自分の力に溺れてるとかそう言うレベルの自信の付け方。調子に乗ってますよね。メチャクチャかわいい。好き。ホントに作中で一番かわいいシーンだと思います。

 

戦闘中の台詞も全部かわいいんですよね。もう完全に戦闘狂に困惑してるみたいな感じで。なんなんだあの被害者オーラは。「やっぱり、あなた正気じゃないんですね」とか最高じゃないですか?この期に及んで、自分はまともと思っていることの何よりの証左ですよね。だからこそ、その後式に捩じ伏せられてしまうまで、しまったあとの叫びの悲哀が増す訳ですが。一連の叫びは、痛覚残留屈指の見所ですね。痛みを知ってようやく得た生の実感、その全てをぶつけたかのような叫びが、たまらなく好きです。こっち聞いちゃうと、FGOでの宝具ボイスが少し物足りなく感じちゃいますよね。え?聞いたことがない?サポートに出してるんで使ってください。

 

さて、死闘の末、橋を崩落させたもののタイムリミットが来てしまったおばあちゃん。この後がなんとも皮肉な話ですよね。ようやく得た生の実感である痛み。痛みを失うことで彼女は生き永らえる。「死に接触し快楽する不適合者」と作中では称されたそうですが、そうなってしまった経緯があまりにも悲劇的で。痛みを失ったことも優しさからだった、そう考えると本当にやるせない気持ちになります。

 

あらためて僕が着目したいのは痛みを得たことです。過去の描写を見るに、「痛みを感じない自分」の異常さを十分に分かっていた訳ですが、その裏返しで「痛みを知った自分は正常な人間である」と、そう思い込んでいる、どころか強く暗示をかけているように見えました。結局、それが強すぎたから自分はまともだと思い続けてしまった、殺戮を楽しむ自分に気付けなかった。そう解釈しました。

 

痛覚残留、初見時はいかに適当に見ていたか思い知らされるほど、得るものがありました。この調子で、他の話を見返すのもありかもしれませんね。

 

しかし、痛覚残留の感想ってよくほざいたものだなあ。完全におばあちゃんの話しかしてないじゃん。いやまあそう言う話なんだけど。